佐 賀 美 術 協 会
S A G A A R T A S S O C I A T I O N
佐賀美術協会は、久米桂一郎、岡田三郎助、山口亮一等により大正2年に創立された佐賀県内最大の美術団体です。佐賀県民に愛され、大正、昭和、平成、令和と受け継ぎながら、日本画・洋画・彫塑・工芸の4部門にわたる美術公募展を毎年主催しています。県民の美術の登竜門として、若い世代から高齢の方まで応援しています。
「佐賀美術協会」と「美協展」の成り立ち
「佐賀美術協会の創設」〜ふるさとにゆたかな美術文化を〜
「佐賀美術協会」の誕生は大正時代にさかのぼる。大正2(1913)年10月、東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科教授の久米桂一郎、岡田三郎助をはじめ、佐賀県出身で同校に学んだ美術家たちが、東京上野・精養軒にて会合をひらいた。その席上、佐賀の美術の現況について話が及び、「佐賀美術協会」の創立と、佐賀市内での展覧会開催の構想が立てられた。
翌大正3年7月、佐賀市の旧県会議事堂を会場とし、第1回の「佐賀美術協会展(美協展)」が開催された。洋画家山口亮一が世話役になり、在京作家と地元在住作家の日本画、洋画、工芸作品計233点が展示された。美協展は佐賀県内における初の総合的な美術展覧会であり、中央のアートシーンの現況を強度に紹介するという重要な役割も担っており、県民に大変な好評をもって迎えられた。
「美協展」〜郷土作家の切磋琢磨の場、そして新進の育成〜
昭和2(1927、佐賀市公会堂落成の年)年の第12回展からは一般公募制度が開始され、協会員の近作の紹介とともに、郷土の新進作家の研鑽、発表の場へとその門戸を大きくひらいた。また同5(1930)年には古賀忠雄、同16(1941)年には松本佩山がそれぞれ初出品し、その後の彫刻、陶芸部門の嚆矢となった。彼等をはじめ、美協展に出品しながら、全国規模の活躍をはたした作家も多く存在する。
第1回展以降、美協展は4回の休止があったものの、年に一度、現在に至るまで開催され続けており、郷土作家の作品発表、新進の育成、造形活動の切磋琢磨の場としてひろく支持されている。
「ふるさとに豊かな美術文化を」ー 郷土へのあたたかいまなざしをふくんだ創始者たちの精神は、今も受け継がれている。
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